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 2013/07/09 配信

日本ホリスティックアカデミー・メールマガジン No.23

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「ヒプノの青い鳥---本来の自分を発見する癒しの旅へ」

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■トピックス

 【1】月例ヒプノセラピー勉強会(7月以降)の参加受付中
 【2】講演会「前世療法の歴史とエドガー・ケイシー」を9月14日に開催
 【3】空海とインターネット
 【4】「アラスカの夏」(11) (村井啓一) 
 【5】メールマガジンの配信解除  

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【1】月例ヒプノセラピー勉強会(7月以降)の参加受付中

ヒプノセラピー勉強会の年後半の日程とテーマが決まりました。各回とも月の 第2水曜日に開催されます。

<勉強会の日程とテーマ>
 7月10日(水)  自我強化の暗示
 8月14日(水)  前世退行の方法
 9月11日(水)  年齢退行のヒント
10月 9日(水)  催眠誘導の原則
11月13日(水)  イメージワークと催眠
12月11日(水)  スポーツ催眠 <開催場所>
  「ゆうぽうと」(五反田)5階の研修室(JR五反田駅徒歩5分)
  ※時間は午前10時30分~午後6時30分です。
<参加費>
 ○各回3,500円(税込)です。 
 ○6回まとめて申し込まれる場合に限り3,000円割引として18,000円(税込)で
   お受けいたします。
 ※参加者の都合でキャンセルされる場合は返金されませんのでご注意ください。
<参加資格>
 ○日本ホリスティックアカデミー本校か日本ホリスティックアカデミーの認定校で
  マスターコースかプロフェッショナルコース以上の講座を履修していれば参加資格が
  あります。
<申し込み方法>
 ヒプノセラピー勉強会に参加を希望される方はinfo@www.jh-academy.comまで、 下記の必須事項を記入のうえメールでお申し込みください。折り返し、予約確認 メールで参加費の振込口座もしくはクレジットカード決済のURLをお知らせします ので、期限までにお支払いください。
<申し込みに必須の記入事項>
 1.名前(漢字とフリガナ) 2.住所   3.電話番号 
 4.メールアドレス 5.JHAでの履修内容  6.参加希望月 
 7.銀行振込/クレジットカード決済の選択

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【2】講演会「前世療法の歴史とエドガー・ケイシー」を9月14日に開催

NPO法人日本エドガー・ケイシーセンター代表理事の光田秀氏と当アカデミー の村井啓一代表による講演会を9月14日(土)に開催します。

*****
前世療法は19世紀のヨーロッパで行われていた退行催眠から始まり ました。当時の施療家たちは今生の過去に起因する苦悩を持つ方が、 その原因を思い出すことによって楽になったり、苦しみのもとを変えたり、 消したりすることで治療が完結すると考えました。その退行催眠中に思いもかけず前世に入ってしまうケースが起こったの です。不思議な前世回帰の事例を経験するなかで、困惑した施療家 やこの現象に興味を持った好事家が前世退行の実験を試みたのです。様々な前世退行実験が重ねられるうちに、人は前世を語ることができる ということと、生まれ変わりの思想に立脚した前世退行によって、身体が 癒され、心が楽になる、という現象が起きることが徐々に分かってくるの です。そして前世退行は前世療法として進化を遂げました。また20世紀前半に、エドガー・ケイシーが催眠状態で依頼者の前世を 読み解くことを始めました。敬虔なクリスチャンであったケイシーは研究と 考察の末、生まれ変わりの概念はクリスチャンの信仰を危うくするものでは なく、むしろ信仰を高め完成するものであることを確信したのです。清廉潔白な透視能力者として人々から認められていたケイシーが行った 前世読解(ライフリーディング)によって催眠下の前世退行が世間一般 に知られることとなり、多くの催眠療法家たちが前世退行を志す起爆剤 となったのです。
*****
本講演会は、講演1:「前世退行から前世療法へ-エドガー・ケイシーの 貢献」(村井 啓一)と講演2:「エドガー・ケイシーの前世療法(ライフリー ディング)」(光田 秀)、および「座談会&質疑応答」(光田&村井: 進行役・宮崎)の3部構成となっています。

講演タイトル:「前世療法の歴史とエドガー・ケイシー」
講 演 者: 光田 秀 (みつだ・しげる)
        村井 啓一(むらい・けいいち)
司会・進行:宮崎ますみ (みやざき・ますみ)
12:30p.m.
  開場
13:00p.m.~14:15p.m.
 講演1:「前世退行から前世療法へ-エドガー・ケイシーの貢献」(村井 啓一)
14:15p.m.~14:30p.m.
    (休憩)
14:30p.m.~16:00p.m.
講演2:「エドガー・ケイシーの前世療法(ライフリーディング)」(光田 秀)
16:00p.m.~16:15p.m.
    (休憩)
16:15p.m.~16:45p.m.
座談会&質疑応答 (村井&光田)(進行役・宮崎)
*****
日時:2013年9月14日(土) 開演 13:00p.m. (開場 12:30p.m.)
会場:「ゆうぽうと」(五反田)の研修室「くれない」
    (東京都品川区西五反田8-4-13 TEL:03-3490-5111)
     *JR五反田駅徒歩5分 *参考図:http://www.u-port.jp/access.html
参加費:3,500円
*****
<申し込み方法>
参加を希望される方はinfo@www.jh-academy.comまで、下記の必須事項を記入のうえ
メールでお申込み下さい。折り返し、仮受付メールで参加費の振込口座もしくは
クレジットカード決済のURLをお知らせしますので、期限までにお支払い下さい。
参加費の入金が確認できましたら参加確定のメールをお送りいたします。
チケットの発行はいたしませんので、当日にそのままお越し頂き、受付の参加者
リストでお名前を確認のうえ入場して頂きます。
*定員に達し次第に募集を締め切りますのでお早めにお申し込みください。
 <申し込みに必須の記入事項>
1.名前(漢字とフリガナ) 2.住所 3.電話番号 
4.メールアドレス 5.銀行振込/クレジットカード決済の選択
主催: 一般社団法人 日本臨床ヒプノセラピスト協会
共催: 株式会社 日本ホリスティックアカデミー
後援: NPO法人日本エドガー・ケイシーセンター、日本ヒプノ赤ちゃん協会、
    株式会社ヒプノウーマン
*************************************************************************
(講演者)
光田 秀 (Shigeru Mitsuda)
NPO法人日本エドガー・ケイシーセンター代表理事。1958年広島県生まれ。 京都大学工学部卒業。20歳の頃、エドガー・ケイシーの『転生の秘密 』を 読み、霊的人生観に目覚める。大学院を修了後、政府研究機関での勤務を経て、 エドガー・ケイシーのリーディングと著書に対する研究・翻訳、またエドガー・ ケイシー関連の著述・講演を行うエドガー・ケイシー研究家となる。
1993年3月に米国エドガー・ケイシー財団(A.R.E) の認可のもと、任意団体 として日本エドガー・ケイシーセンターを設立。2002年10月にはNPO法人となる。
日本エドガー・ケイシーセンターの代表理事としてエドガー・ケイシーの思想や 業績を現代の日本に正しく伝えることを目指して、日々普及活動に勤しんでいる。
主な著訳書は、「眠れる予言者エドガー・ケイシー」(総合法令)、「神の探求」 (たま出版)、「知られざる自己への旅」(大和書房)、「エドガー・ケイシーの キリストの秘密」(たま出版)、「永遠のエドガー・ケイシー」(たま出版)など がある。
***

(講演者)
村井 啓一 (Keiichi Murai)
一般社団法人日本臨床ヒプノセラピスト協会代表理事、日本ホリスティック アカデミー代表。1952年生まれ。同志社大学時代にビート派の米国詩人らと 知り合い影響を受ける。留学し米国のナロパ・インスティチュートで学んだ後、 アラスカ大学大学院の英詩創作科を卒業。30歳で帰国し、コダックとデルで 広報宣伝に従事。その後アスクルの取締役となるが、家族の病気が契機となり 退社。様々な癒しの方法論を学び、ヒプノセラピーがすべての根源にあることを 知る。2002年以降はヒプノセラピスト、ヒプノセラピー講師となる。米国催眠士 協会(NGH)等の米国を代表する3つの催眠団体の日本人初の認定マスターイン ストラクターとしてヒプノセラピー全般を教える。スポーツ催眠、エリクソン 催眠、NLP、ゲシュタルト療法等にも精通している。前世療法については米国の ブライアン・ワイス博士の講座を10年以上継続して受け続けている。また前世 療法の歴史や方法論の研究を続けている。
***

(司会・進行)
宮崎ますみ (Masumi Miyazaki)
日本ヒプノ赤ちゃん協会代表、ヒプノウーマン代表、女優、エッセイスト。
1983年に芸能界に入り、舞台、映画、テレビドラマ、レコード・CD等の分野で 幅広く活躍。12年間の芸能生活で様々な人生模様を経験する。25歳で前世療法 を体験し、その後の人生に大きな影響を与えられ、ルドルフ・シュタイナーの 人智学や、心理学、精神世界に興味を抱く。結婚を機に渡米。10年間の米国 在住中にヨガや自己探求に興味を持ち、子育てに奔走しつつ自分癒しを続ける。
2005年に映画活動を再開するも、乳がんが発覚。帰国し、2年間様々な治療を 実践して乳がんを克服。その間に心と身体と魂のバランスの重要性を身をもっ て経験する。その体験から人の内奥には自らを健全な状態へと戻していく大い なる治癒力が備わっていることを知る。そしてヒプノセラピーがその無限の可能 性を引き出し、人生をより豊かに創造的に生きる手懸りになると確信し、ヒプノ セラピーを本格的に学ぶ。現在はヒプノセラピスト、ヒプノセラピー講師として 活動している。

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【3】空海とインターネット

今は情報の拡散、普及が爆発的に進んだ時代であるといえます。インターネット を開くと、ありとあらゆる情報を居ながらにして得ることができます。しかも ほとんどコストをかけずにです。

例えば9世紀の頃、日本は遣唐使を中国へ送り、進んだ情報を得ようとしました。 よく知られている留学僧が空海と最澄です。804年に、公費留学生の最澄と私費 留学生の空海をはじめとする一行は4隻の船で唐を目指して出航します。だが、 途中で嵐にあい、2隻が難破しています。空海の乗った船は嵐で流されますが、 なんとか8月に唐に上陸し、最澄の船も遅れて9月に上陸しています。短期留学生であった最澄はそれからわずか8ヶ月で、滞在中に書写した経典類を 携えて帰国します。空海は2年間、唐に滞在し、その間に、密教の正当な継承者 となり、膨大な数の経典、密教仏具、曼荼羅などを持ち帰ります。最澄も空海も 当時の日本になかった唐の文化・情報を仕入れて日本に持ち帰ったのです。印刷・出版のない時代に一冊の書物の価値たるや、想像を絶するものがあります。 空海が持ち帰った書物を最澄が何度か拝借しました。だが、あるとき「理趣釈経」 を最澄が借りようとするのですが、空海はそれを拒絶したのです。そのため両者の 関係は悪化します。そのときの空海の辛らつな手紙を梅原猛氏がこのように現代語訳しています。 「あなたは『理趣釈経』を借りたいと言っていますが、理趣ということは何のこと かご存じですか。理趣、すなわち道理に3種があります。耳で聞く理趣、それは 言葉です。何よりもあなたの言葉です。あなたはその言葉をあなた自身の中に見い だすはずです。目で見る理趣、それは物質です。その物質は手近にはあなたの身体 にあります。あなたはこの理趣をあなた以外に求める必要がありません。心で思う 理趣それはあなたの心です。どうしてよそに求める必要がありましょう。あなた にはそのことがおわかりにならない。近いところにあなた自身の中に理趣があり ながら、あなたは別のところに理趣を求めていなさる。あなたは真理を紙の上に のみ見る人のようであります。紙の上より、真理はあなた自身の中にあるのです。 ・・・。何かが間違っているのです。行を修めるより、いたずらに字面だけで密教を 知ろうとすること。それは本末転倒もはなはだしいものです。もし本当にあなたが 密教の真理を知ろうと思ったら、真の密教僧となり、行を修める支度をしてきなさい。 そうしたら喜んで密教を教えましょう。」(「最澄瞑想」梅原猛著・佼成出版社刊)空海は密教について語っていますが、その言葉は密教以外にも普遍的に通用するもの です。まず自分自身のなかにある真理を見つけること、そして、行、すなわち実体験 のなかでの学びで分かりえることこそが理趣、すなわち、智慧の完成に至る道だと いうのです。現代は情報があふれています。最澄が読みたかった経典も今だとインターネットで 調べるとすぐに無料でサーチでき、書籍として購入することも、その内容を読むことも できる時代になっています。自分がメデイアを持てる時代になって、人は情報を発信 することに躍起になり、自分のなかにない言葉や、自分の目で見たものでないことや、 自分の思いでない思い、実体験に根ざしていない薄っぺらな情報発信が溢れています。この空海の言葉は今のわれわれに向けて語られているように思えてなりません。

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【4】「アラスカの夏」(11) (村井啓一) 

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  ・これは村井がアラスカ大学大学院に留学していた1980年代の
   ある初夏にエスキモーのキャンプ地で過ごした体験を記したノン
   フィクションです。
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 七月十六日、今日の六時にサーモン漁が解禁となる。ハウイもアーナも皆そわそわ としている。ハウイは毎年解禁日には胃の辺りがむずむずすると言う。

 南西からの風が吹いており、波が少し立っている。キャントナー家全員でどこで網 を張るかを検討する。その結果、まずはボブのキャンプ近くの海岸付近で様子を見る ことに決まった。 四時半に目的地に向かって出発する。アーナはキャンプに残り、私が一向に加わる。 途中でボブとケリーのキャンプに寄り、コーヒーを飲む。そして、そこからボートで 二分と離れていない目的地近くの海岸に行き、解禁時刻を待った。 六時五分前。もうすべての準備が済み、綱はコールの手にある。セスが時計を見て 秒読みを始める。 「六時!」
 すぐさまボートを動かし、それに合わせて綱を静かに海に落としていった。綱を張り 終わると、その場でじっと待つ。緊張感が漂う。誰もが無言のまま海を見つめている。 今年の漁運を占う最初の網だ。 「来た!」
コールが叫んだ。
 「どこだ」
 とハウイ。
 「向こうから三つ目のブイの手前」
 「見なかった。調べるか?」
 「うん」
 ボートを網に沿って動かし、コールの見た網の位置まで行き、そこの網を手繰る。
 「いた!」
 セスが大声を上げる。 今年最初に取れたサーモンだ。かなり大きい。網ごとサーモンをボートに引っ張り 込み網の目を鰓(えら)からはずす。七十センチはあるチャム・サーモンだ。おそらく、 十ポンド(四・五キロ)は下らないだろう。 「あそこにもかかっている。ここにも」
 セスが網を手繰ってみると、すぐ近くに計六匹のサーモンが掛かっていた。網を 入れてからほんの十分程しかたっていない。
 「今年のサーモンは大ぶりだ」
 ハウイがうれしそうに言った。 アラスカでは全部で五種類のサーモンが捕れる。キング・サーモン(チヌーク・ サーモン)、レッド・サーモン(ソックアイ・サーモン)、ピンク・サーモン (ハンプバック・サーモン)、シルバー・サーモン(コーホー・サーモン)、そして チャム・サーモン(ドッグ・サーモン)の五種類だ。 この内、名前の表す通り、キング・サーモンが飛び抜けて大きく、一匹の平均重量 が三十ポンド(約十三・六キロ)を越し、一九四九年にはアラスカ南東部の町ピー ターズバーグで百二十六ポンド(約五十七キロ)のキング・サーモンが獲れたという 記録が残っている。 次に大きいのがシルバー・サーモンで、平均十ポンド(約四・五キロ)で二十九 インチ(約七十三センチ)の大きさに成長する。そしてシルバー・サーモンより平均 して少し小さいのがチャム・サーモン。それから重さ四~八ポンド(約一・八キロ~ 三・四キロ)程度のレッド・サーモン、重さ〇・五~四ポンド(約〇・二三キロ~ 一・八キロ)のピンク・サーモンと続く。 ユーコン河のようにキング・サーモンとチャム・サーモンが両方ほとんど同時期に 遡ってくる河沿いに住むアラスカ・インディアンたちは、専らキング・サーモンを 自分たちの食卓に供し、チャム・サーモンは干して冬の非常食としたり、犬の餌に 廻してきた。一説によるとチャム・サーモンの別名、ドッグ・サーモンの名の由来は そのためだといわれている。また別の説によると、チャム・サーモンの雄に見られる 特有のかぎ鼻と大きな歯が犬に似ているからだともいわれる。 とにかく、コチブー一帯ではこのチャム・サーモンしか捕れない。勿論、たまに 他の種類が紛れ込んで網にかかることもある。しかし、何十万匹と捕れるコチブー 一帯のサーモン漁獲数の中で、チャム・サーモン以外のサーモンは一桁か二桁どまり に過ぎない。 三十分後に二回目の網の点検を行い、十五匹を取り入れる。その後、ボート上で 軽く昼食をとる。そして一時間後に再度のチェックをする。網を手繰るごとにサー モンが飛沫を立てる。三十四匹の収穫。全部で五十六匹だ。 サーモンの鮮度が落ちない内に、バイヤー(サーモンの買い手)が来ているシソー リックの南端部まで急ぐ。バイヤーはコチブーから計量器付きのボート数隻をシソー リックへ送りつけている。猟師たちはバイヤーのボートに自分たちのボートを横付け し、サーモンを秤(計量器)の大皿に投入れていく。 バイヤーのボートの横にはもうすでに三隻が並んで順番を待っていた。四番目に 並び横のボートの中を覗き込む。かなりの数のサーモンが取れている。今年は豊漁が 期待できそうだ。 バイヤーの買値はポンド当たり五十セントがついていた。順番がきて計量する。 一匹平均十ポンドある。合計で五百六十八ポンドになった。二百八十四ドル(当時 約七万円)の収入だ。そのまま、アーナの待つテントへ直行した。そこからボート で一分とかからない距離だ。ボートを降りて夕食まで休息をとる。 食事時にはしっかりと食べておかなければならない。エネルギーをしっかりと 蓄えておかないと、すぐに腹が空き体が冷えていく。体表から熱が首筋を通って 逃げて行くのが感じられる。 ウールの下着、ウールのシャツ、厚手のセーター、その上にパーカ、そして更に その上には雨具を着込んでいる。頭には毛糸の帽子を被り、手にはゴムの手袋をして いる。しかし、風が吹くとそれでも寒い。 放散していく熱を補うために燃料を胃袋に入れておかねばならない。シチューが 出た。ハウイが仕留めたムースの肉とアーナのつくったジャガイモが入っている。 そして、その後でクラッカーにバターを塗って食べる。熱いコーヒーがバターの 香りといっしょにのどの奥から胃へと流れていく。熱い波長が体の底からジーンと すみずみにまで伝わって行く。夕食後、再び出発した。風は南東の風に変わり、風速も増した。そして波も以前 より高い。波を受けながら進んでいくボートの揺れは大きく、しっかりと手すりに しがみついていないとボートから振り落とされてしまいそうだ。波を打つ衝撃が強く 床に伝わり、踵をつけて立っていられない。北に進むにつれて外海に近付くので波も 高くなっていく。 途中で何度も刺し網に付けられた赤いブイが浮いているのにでくわし、その度に 迂回して進んでいった。この辺で使う刺し網は長さ二百メートル程で幅が一メートル 五十センチ程度の帯状になっている。幅があまりないのはこの辺の海が浅いためだ。 ボートのスクリューで網を切られないように網の両幅に赤いブイをつけ、その間に 網を張ってあることを示している。 ようやくキャントナー家の印、丸にKのマークの入った赤いブイが見えてきた。 網は海岸線に対して垂直に張ってあり、網の端には錨を沈めてある。網を持ち上げ ボートを網の下にいれた。ボートが網の線と直角に交差するようにボートの位置を 変える。そして網を順ぐりに手繰り上げ、ボートを陸の方に向かって移動させながら、 サーモンが網に掛かっていないかを調べていく。   私は揺れるボートに立って網を手繰っているのだが、先程とはうって変わって 網が重く感じられる。これは風がさっきとは逆の陸の方から吹いており、ボートが 風の抵抗をもろに受けているために網が重いのだ。私は力まかせに引いていった。 しかし、なかなかボートは進んでくれない。汗が流れ落ちてきた。 三十分もかかってようやく網の端まで進んだ頃から、胃の辺りがむかつき始めた。 汗もあぶら汗に変わっている。『これはまずい』と思い、深呼吸をしたり、なるべく 気を散らそうとするのだが、汗は止まらない。悪いことに生唾が出てきた。今はもう 胸の辺り全体が気持悪い。ボートの外へ顔を突き出した。 セスとコールが背中をさすってくれた。
 「食事のあとはなりやすいんだ」
 「僕もよくやるんだよ」
 二人が慰めてくれる。
 ハウイが口をゆすぐようにと魔法瓶の湯をコップに注いでくれた。  いったん吐くと気分がすっかりよくなった。気恥ずかしさよりも、三人の私への 心遣いが有り難かった。キャントナー家にとって大切な漁を中断させることなく、 三人の力となって働けることがなによりも嬉しかった。 夜とはいえ、七月のシソーリック周辺はまだほとんど白夜に近い状態が続く。 真夜中には少し薄暗くなるが、漁には差支えない。その夜は六十三匹の収穫があっ た。
 翌日の昼食時にボブとキースがやってきた。アーナが二人に食事を勧めたが、 キースは今朝船酔いになり食欲がないと言う。キースは無理をしてクラッカーを かじっている。私が昨日船酔いしたことを告げると、にっこりして、「胃の調子 はどうだね?」 
 私は、「もう何ともないですよ。食事がとても美味しい」と答えた。 食事が済み、キース以外は各自飲物を飲んだ。そして、ボブとキースが立ち 上がった。キースがテントを出ながら、私に、「今日も海に出るのかい」
「勿論」
と返事をしたら、
「メーク・ア・ルーム・フォー・サパー(夕食が入るように胃袋を空にしておいで)」 と言って、いたずらっぽく微笑む。
それを聞いて、すかさずボブが、
「ユール・ペイ・フォー・イット(自分の身に降り懸かってくるぞ)」 次の日も豊漁だった。
 網にサーモンがぶつかるのがよく見えた。サーモンが網に当たると、網を突破 しようとして力を振り絞って突進する。そして、鰓の部分が網の目に挟まり、 身動きがとれなくなってしまうのだ。そうなると、もう後戻りは出来ないし、 前進しようにも網の目の幅がサーモンの胴の最大部よりも狭いので突き進むこと もできない。もがけばもがくほど網に絡まってしまう。   サーモンが網にぶつかると網についているフロート(浮き)が沈み込みながら サーモンの進行方向にグイグイと押されていく。また、海面近くを泳いでいた サーモンは水飛沫を立てながら跳ね上がり、網から逃れようとする。潮流によって きれいな弓型に張った網の船が急に歪めば、そこにサーモンがぶつかったことが 分かる。 次の日は禁漁日となった。州の魚類兼獲物部局がこれまでのサーモンの取れ 具合を見て一日の禁漁日を設けたのだ。 その日を利用して、ノアタック河へ焚き木ひろいを水くみに出掛けた。
 途中で低湿地のツンドラを流れるノアタック河の河口近くにすむエスキモーの チャーリー・ジョーンズの家に寄る。チャーリーはエンジン付きのボート造りを 生業としている。庭が仕事場となっている。建造中のボートが二隻おいてあった。 一隻はほとんど完成に近く、あとはペンキを塗るだけでよい状態だ。すぐ横に 小型の発電機が絶え間なく音を立てている。 チャーリーは今までに数え切れないほどのボートを造ってきた。
 チャーリーが語った。
 「最初は見様見まねで造ってきたのだが、造っていくうちにボートの構造と 機能の関係が分かってきたんだ。それから自分で図面を引いて造りだし、改良に 改良を重ねてきた。ボートもどこで使うかによって造りを変えるんだよ。河や ホーサム入江近くの浅い海で使うのか、あるいは波の荒い外海で使うのかに よってボートの底部の構造が違ってくるんだ。波に向かって進むボートで、船首 が上がって真直ぐに進んでいくのと、船首をバタンバタンと波に打ち付けながら 進んでるのをみたことがあるだろう。ああいった違いは、設計上のほんのちょっと した角度の差から生じてくるんだ」 ハウイが私にささやく、
 「チャーリーは学校こそ出ていないが、機械や工作にかけては天才的な才能を 持っている。このボートにしたって、チャーリーは流体力学とか難しいことは 知らないが、経験によってどこをどうすれば問題を解決できるかを知っている んだ。エスキモーの手先の器用さや技術にはよく驚かされるが、チャーリーも 本当にすごい男だ」 チャーリーは自分で建築した木造平屋の家に住んでいる。その家の真横で ノアタック河からの二本の支流が一本に合流している。一つの流れは暗い紫色 の水を湛え、他方は鮮やかなコバルト・グリーンの水を流している。 ハウイは暗紫色の流れの方へボートを進めた。湿原を様々な鳥が飛び回って いる。低灌木と湿地帯の間をぬって三十分ほど上流に向い、ノアタック河の本流 に入った。河幅は五十メートルから百メートルの間だ。岸にあがって枯木や流木 を拾い集めた。ボートに山ほどの焚き木を積み、今度は全員ボートに乗り込み 河の中程へボートを移した。 「ここの水が美味しいんだよ」
 とハウイが河の水をコップにすくって飲む。
 「今日は雨のため増水していて、水も本来の色じゃないが、コチブーの水道水 などここの水を飲みなれると不味くて飲めなくなる」
 そしてポリバケツで十杯の水を汲み上げた。私もボートから体を伸ばしコップ ですくってノアタックの水を飲んでみた。冷たく喉にしみる、そしてかすかな 清涼感を覚える味がある。
 ハウイが言う、
 「この水でコーヒーを入れたらうまいぞ」 その翌日、猟から帰って休んでいたところ、ハウイが大声をあげて笑いだした。 セスの通信教育のアメリカ文学の教材にマーク・トゥエインの文章を見つけて 読んでいたのだ。ハウイは面白かった所を全員に読んで聞かせた。セスとコールも 笑った。皆疲れ切っているが、誰も不平を言わない。アーナは夕食の支度で忙しい。 ハウイに聞いた。
 「いつからサーモン漁を始めたんですか」
少し間を置いて、ハウイが
「一九七四年からだな」
そして、その当時の失敗談などを語ってくれた。「一九六一年と一九六二年にエスキモーの知人のサーモン漁を手伝ったことがあり、 猟についての予備知識は少しあったので、自分でもなんとかやれると思っていたんだ。 でも猟に必要な道具一切をコチブーの缶詰工場から借りたんで、サーモン一匹が たった三十セント位にしかならず、全然実入りがなかった」 コールとセスもハウイの話をじっと聞いている。ハウイが続けた、 「それにこの辺の海についての知識がなかったので、大失敗したことがあったな。 海に出るのだから、錨には海底に届く長いロープがいると思って、八十メートル ものロープを錨に結びつけておいた。いざ、サーモン漁が解禁となって勇んで海に 出たのだが、どこへいっても錨がすぐ底についてしまう。錨を引き上げ、別の所で 錨を投げ入れる。すると、そこもまた浅い。それは当たり前のことで、この辺の海は 海といっても深い所でもせいぜい三メートル位しかないのだから、どこで錨をおろし てもすぐに海底に着いてしまう。ところがそれを知らないものだから、必死で深い 場所を捜して、あっちをうろうろこっちをうろうろ。そうこうしているうちに時間 も経ってくるし、こっちも大分疲れてきた。ええい、もうどこでもいいや、と自棄 になって網をいれたら、十分間で八十匹も捕れたんだ。喜んで、早速帰って売ったが、 余りに興奮していたので、どこで捕ったのかを覚えていないんだ。折角の穴場だった のにな。また、こんなこともあった。猟のベテランが話しをしているのを聞いて いると外海に近い所に穴場があるというんだ。新米の漁師は情報に振り回されやすい んだ。それで外海に近い所にまで出ていった。しかし、夜になって霧に巻かれて しまった。帰る方向が分からなくなり、朝までまんじりともしない夜を送ったことも あったな」 ハウイは思い出したように、「ケージ、ノアタックの水でコーヒーを飲まないか?」 そう言い、私の返事を待たずに立ち上がると、携帯用のガス・ストーブで湯を沸かす 準備を始める。その時アーナが棚から食料をテーブルに降ろしながら、全員に聞こ えるようにこう報告した。
 「さっきアノアが来て、食料を分けてあげましたよ」
 アノアはキースの奥さんだ。
 セスはそれを聞くと、
 「エッ、どうして。僕たちの分だってそんなに残っていないのに」
 と軽くつぶやいた。
 アーナは手を休めることなく、「欲しいって言うからあげたのよ」
 ハウイが笑って、「あげないと飢死するかもしれんだろう」
 セスはつまらないことを言ってしまったという表情をしたまま、遠くからボートの 音が近付いてくるのを聞きつけ、「誰かが猟から帰ってきた」と言って、双眼鏡を手に 表へ飛び出して行った。 確かにセスの言う通り、その時キャントナーのテントに食料はほとんど残っていな かった。わずかばかりのジャガイモとムースの干し肉、それに乾物類しか食料箱には 入ってなかった。セスもその事をよく知っていたのだ。食料を分けてあげたという ことは只であげたということだ。有る者が無い者に与え、無い者が有る者から貰うと いう相互扶助の伝統的なエスキモー精神をキャントナー家も受け継いでいる。 (つづく)────────────────────────────────────
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http://www.holistic-work.com/magazine

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【発行者】日本ホリスティックアカデミー 代表 村井啓一
【E-mail】info@holistic-work.com
【ホームページ】https://www.jh-academy.com/ http://www.holistic-work.com/
【TEL】 03-6721-7612 【FAX】03-6721-7632
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